(続き)
実際にはどうなのか。純粋に知的好奇心を満たしたい。精神的に充足させたい。よりよく生きるための、よすがにしたい。
そんなことを考えながら研究している人が多いのではないかと推測する。
現代社会は、特に先進国においては、物質的には充足しつつある。
それで人は幸福になっているのか。疑わしい。
SNSの普及によって、他人の生活が可視化された。正確に言うのであれば、他人の生活の「一番良いところを、さらに加工した状態」が可視化された。
それによって、劣等感を抱く人も増えているのだと思われる。
人はどうしても、他人と比較してしまう。それ自体は、必ずしも悪いことではない。
良いモチベーションになり、自分の人生をさらに良くするキッカケにもなり得るからである。
しかし、負の側面として、どうしても不足感を感じてしまう人もいると思う。
他人の生活など見なければ、「それなりに」充実していた人も、このままではいけないのではないかと考えてしまう。
美しく整えられた部分がSNS上に集まり、その中で「理想の人生像」が作り出される。
そんなものは実際には存在しないのに、その幻想を追いかけてしまう。
それで幸せになるわけがない。
SNSにはプラスの側面がある。誰しも発信者になることができる。
「アラブの春」、「#MeTooムーブメント」。これまで声を持てなかった社会的な弱者が、声を上げられるようになった。
反権力。自由。個の尊重。そんな面も確かにある。
一方で、先に挙げたような、他人との比較などの問題点もある。
さらに、情報の拡散のされ方にも特徴がある。
単純で過激な物言い。情緒、特に怒りの感情を煽るような発信は拡散されやすい。
内容の妥当性よりも、キャッチーでわかった気になりやすいものが、支持を受け得る。
FacebookやTwitter(現X)が出現した際に、「これで民主主義がアップデートされる。個々人の声がより政治に反映されやすくなる」といった意見もあった。
果たして当時思い描いたような社会になっているのか。極めて疑わしい。
良し悪しはさておき、これが現実である。現実から目を背けてはならない。
「かくあるべし」という理想を並べることも大いに結構。しかし、現実との折り合いもつけなければならない。
あらゆるビジネスにおいて、SNSの活用は不可欠となりつつある。SNSで受けるものが、人類史にとって有意義なものになるのか。
「古典」として残るようなものになるのか。必ずしもイコールであるとは言えない。それは殆どの人が了解していることだと思う。
それでも生活も成立させないといけない。短期的な評価と、長期的な評価。
前者は生活のため、後者はやりがいのためとも言えるかもしれない。
もちろん、ここも完全に二分はできない。
【SNS】
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