自分の無意識が何を欲してるのか。それをメタ認知する必要があるのかもしれない。 無意識は定義より意識できない。しかし、確かに存在する。
無意識と意識は二項対立ではなく、関係し合っていると思う。 意識の世界の中を生きている気になっているが、それは必ずしも無意識を無視して良い訳ではない。
むしろ、無意識を耕していくことこそが、意識的な意思決定の質をも向上させていくのだと思う。 具体的に何をすれば良いのか。それを考えるのは難しい。なぜなら、上述の通り、意識できないからである。
しかし、感覚的にはわかると思う。自分が何を欲しているのか。だからと言って、欲望に流され続ければ良い訳でもない。 「善い」欲望を満たすことが大切だと思う。自堕落で、刹那的な生き方をすれば良い訳ではないと思う。
人間の欲望、アニマルスピリッツは面白い。最近では、資本主義の次なる在り方が議論されることが増えてきた。 曰く、十分量の富がすでにあるのだから、次はいかにそれを分配していくかが大切であると。
それは確かにそうかもしれない。しかしながら、人の欲求とはそれほど単純なものなのか。 さらなる富を求めてしまうものではないかと思う。
一生、生活に困らないだけの財産がありながら、さらなる財産を求めて人生を破綻させてしまう人もいる。 目先の利益を優先して、人間関係や健康をも犠牲にする。
それが良いとは思わないけど、現実として、そのような側面があると思う。 人には社会的な側面だけでなく、生物学的な側面がある。言い換えるのであれば、動物的な側面。感情的な側面。
そのような側面があることを前提に、社会の制度設計を行わなければならない。 理性的、論理的なコミュニケーションというのは、むしろ例外的とも言えるのかもしれない。
イレギュラーなこと、不合理なことをしてしまうのが、人間というのもだと思う。 「理論」という骨組みをしっかりと持ちながら、「実践」的な柔軟な考えも持たなかればならない。
これは両輪である。理論に偏りすぎると、柔軟性を失う。変化に対応できなくなってしまう。 一方で、「実践」だけだと、その場しのぎになってしまう。どこかで超えてはいけない「一線」を超えてしまう。
だから両方が大切なのだと思う。
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