物事には多面性がある。「AかBか」で悩んだとき、「AかつB」が答えになることもある。
例えば、「理論と実践、どちらが重要か」。おそらく「どちらも重要」である。
本来トレードオフでないもの、二項対立にならないものを、そのように扱ってしまうことがある。
その方が、認知的な負荷が低いからなのかもしれない。物事は複雑である。しかし、そのような曖昧さ、不確実さに耐え切るのは難しい。
なので、単純化する。その方が短期的にはうまくいくこともある。なぜなら、行動に繋がりやすいから。考えてばかりいては、行動が抑制され得る。
さらに、過度な単純化、バイアスであっても、「言い切る人」に、カリスマ性を見出す人も多い。
「決断力がある」、「ハッキリしている」と。一方で、考える人は、優柔不断だというレッテルが貼られやすい。実際、短期的には、損をすること、チャンスを逃すことも多いのだと思う。
どちらが良いのか。そのようなことを考えるのだとしたら、その問い自体が誤りだと思う。
元々、世の中は複雑である。しかし、一定程度、単純化することが黙認されてきた。
「男性/女性だから」、「子ども/大人だから」。そのような一般化が、日常的に用いられてきた。
今の世の中では、許されなくなりつつある。
「多様性」とは、すなわち、過度にグループ分けせず、その人をそのまま捉えようということだと思う。
だとすれば、認知的は負荷は当然上がる。100人の男性を全て、「男性」で括るのか。あるいは、個人として100人それぞれを認識するのか。
後者の方が複雑であることは、言うまでも無い。望むとも、望まざるとも、そのような時代を生きている。
極右や極左が生まれるのも無理はない。なぜなら、どちらも単純化した結果だからである。
本来は、是々非々で物事を決めるべきだと思う。しかし、その手間と労力を省くために、「ポジション」を取る。
そのポジションも、両極端に振れたものになる。それが良いとは思っていない。ただ、現実として、そのようになっていると思う。
社会が分断するのも、無理はない。クラスターが細分化すればするほど、どこかに「バックラッシュ」が起こり得る。
グローバル化、多様性を重んじる人がいる一方で、ナショナリズムに向かう流れもある。
いわゆる「Woke」と、「MAGA」の分断。これは当分の間、続くと思われる。
Wokeismと揶揄されるのは、程度問題として、行き過ぎているからだと思う。
個人的に、自由や権利を重んじる流れは、大いに歓迎したい。一方で、その反動が社会のどこかで起きているのも事実。
自由や権利を尊重することの先には、個々人のより良い人生、幸福が待っているべきだと思う。
しかし、上で議論したように、必ずしもそうはならないのが社会の難しさ。
当然、簡単な答えなどない。どうすれば良いのか、自分もわからない。しかし、ここで思考を放棄すべきでないこともわかる。
ここでも、曖昧さに耐えないといけない。「これさえやれば大丈夫」なんてものは存在ない。何度でも繰り返すが、現実は複雑。どこまでも不可解。
静的な「答え」を探すのではなく、動的な「答えに至るまでの過程」が大切なのだと思う。
“Closer to Truth”、”Less wrong”の考えである。過程が大切というのは、人生全般に対しても言えることだと思う。
人は死ぬ。しかし、死ぬ「ために」生きているわけではない。なぜなら、直ちにその目的を果たそうとする人は、殆どいないからである。
最期に至る過程こそが、人生。日本国憲法第13条に規定される「幸福追求権」も同様の考え方だと思っている。
つまり、「幸福」は追求するものであり、「到達」するものではない。
だからこそ、個々人が、それぞれの「幸福」を追い求める必要がある。
「上」から与えられるものではない。絶対的な権力を持った人が、「これさえあれば良いんでしょ」と、「分け与える」ものではない。
それでは、いくら物質的に満たされていても、精神的には満たされないのだと思う。
もちろん、物質的な豊かさも必要。それは、「上」から与えられても良い。しかし、それだけでは十分ではない。
やはり、自分なりの「幸福」を追求過程にこそ、「幸福」があるのだと思う。
「幸福」は静的な概念ではない。動的な概念だと思う。
社会的な分断に対し、「答え」がないことを議論した。それでも、「答え」を模索し続けることが大切なのだと。
「幸福」ないし、「自由」などもそう。「概念」には、定義より実態がない。
それでも概念の提示、いわゆる「コンセプト・ワーク」が大切だと思うのは、追求する方向性を指し示すことになるから。
大袈裟に言い換えるのであれば、生き方の提示である。
学問に対し、「それは何に使えるの?」と問う人は多い。特に、基礎科学や、概念的なこと。例えば哲学に対してである。
その問いに対し、「応用に繋がる」と答えることもできる。確かに間違えていない。しかし、どこか誤魔化している感じがある。
相手を納得させるため、さらに強く言うなら、黙らせるための回答。
(続く)
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